コレクション

Collection

ランプコレクション

鷹山宇一は充実した制作活動と同時に、長年にわたりオイルランプを収集してきました。洋画家としてはもとより日本有数のランプコレクターとしても著名な鷹山の、他に類をみない華麗なコレクションから、19世紀後半西洋の装飾卓上ランプ、フロアランプ、そして明治後期日本の座敷ランプなどを紹介しています。

「ランプのガラスのような透明な色彩と感覚を表現できたら…」そんな憧れを抱き続け、求めて、自らが収集した「美」の結晶=ランプと画家の作品とをあわせてぜひご鑑賞ください。

また、ランプ館天井のドームには、池内康氏の遺作となったステンドグラスが装飾されており、透過する心地よい光が部屋の雰囲気をさらに高めています。

花文様絵付け台卓上ランプ

花文様絵付け台
卓上ランプ

天使文金属飾り手付き卓上ランプ

天使文金属飾り手付き
卓上ランプ

見町観音堂・小田子不動堂の庶民信仰資料

見町観音堂、小田子不動堂の南部小絵馬

見町観音堂、小田子不動堂の南部小絵馬

見町観音堂の左義長羽子板_左から「左義長」表と裏

見町観音堂の羽子板
左から「左義長」表と裏

日本最古とも言われる古型を保った羽子板

日本最古とも言われる古型を保った羽子板

室町時代の創建とされる「見町観音堂」と「小田子不動堂」は、人々の信仰の拠り所として今に伝えられる七戸町の古刹です。

両御堂に奉納された江戸時代を中心とする小絵馬や羽子板などの資料は、この地方と2つの御堂をめぐる庶民信仰の実態と推移を知るうえでも大変重要であることから、平成2年、国の重要有形民俗文化財に指定されました。これらはいずれも、子々孫々、後世へと伝えていかなければならない貴重な文化財です。見町観音堂と小田子不動堂のご協力のもと絵馬館で保存・管理するとともに、その有り様を広く多くの方々に伝えるため一部を公開しご紹介しています。

スペイン民芸コレクション

ゴヤ・ピカソ・ミロなど偉大な芸術家たちを輩出したスペインという風土の原点、それは、人々が日常生活の中で実際に使用してきた陶器製の生活雑器に見ることができます。スペイン民芸資料館でご紹介するこれらの陶器は、町立美術館の開館を記念して、アートディレクター北川フラム氏により、町に寄贈されたものです。日本の北の地に、遠いスペインから運ばれてきた古い陶器は、民衆レベルで感応し合う共通の思いを語りかけてくれることでしょう。

また、スペインが生んだ建築家・ガウディ設計の椅子(レプリカ)も展示しており、その確かな座り心地を体感することができます。

アンドゥハルの飾り壷

アンドゥハルの飾り壷

戸村 春樹

帰巣_1987(昭和62)年 メゾチント

帰巣

1987(昭和62)年 メゾチント

1947~2016
青森県八戸市に生まれる。
青森県立八戸高等学校卒業後、多摩美術大学に入学、在学中に独立美術展に油彩画で計3回入選。昭和48年に同大学院美術研究科(油彩)を修了。その後、鎌倉や東京都内で美術講師を務め、本県に帰省後は県立青森高等学校、青森第三養護学校高等部に勤務。青森第三養護学校のころ、教材研究として取り寄せたメゾチントプレートとの出会いがきっかけとなり、メゾチントを主とした制作に取り組むようになる。漆黒の空間に山々や雲、植物などをモチーフに、緊張感に満ちあふれた静寂の世界が表現されており、ロッズ国際小版画ビエンナーレなど、国内外の展覧会に多数入選、その格調高い作品は多くの美術ファンを心酔させている。

※「メゾチント」とはフランス語で「マニエルノワール」と呼ばれる銅版画の技法のひとつで、銅などの金属板に縦、横、斜にロッカーなどの道具で無数の点をうち、そこにインクをつめこみ、プレス機で圧力を加え、紙に移し取る技法で、まるでビロードのような深みをおびた美しい黒の肌合いが特徴である。

𠮷野 毅

1943~
千葉県長生郡睦沢町に生まれる。
千葉県立長生高等学校時代、美術部での活動を通じて彫刻に興味を持ち、昭和38年東京藝術大学美術学部彫刻科に入学。二科会彫刻部主導者で、のちの文化勲章を受章する淀井敏夫に学ぶ。昭和44年同大学大学院美術研究科彫刻専門課程塑造専攻を修了後、大学に助手として残り、自身の芸術的探求を重ねる。昭和49年二科会会員。昭和57年第67回二科展でローマ賞、昭和60年第70回二科展で会員努力賞、平成15年第88回二科展で文部科学大臣賞を受賞。平成24年第68回日本芸術院賞受賞。令和2年日本藝術院会員。現在、公益社団法人二科会常務理事。

請_H178.0×W45.0×D45.0cmブロンズ

H178.0×W45.0×D45.0cm
ブロンズ

渡辺 貞一

白い花_1972(昭和47)年 キャンバス・油彩

白い花

1972(昭和47)年 キャンバス・油彩

1917~1981
青森県青森市に生まれる。
4歳年上の長兄の死をきっかけに自分の最も希望する画家の道を歩むことを決意、18歳で上京し川端画学校に入学する。しかし昭和19年、海軍要員として南ボルネオ島へわたり、昭和20年、現地召集されタラカン島で激戦に加わるが、奇跡的に生き残り翌年復員帰国。戦後は国画会に作品の発表を続け、幻想的で静謐な独自の画風を展開し、晩年になり人気を博す。